夜に咲く花

 

 

 

 

 

 

『…来ちゃった…』


宿営地に立てられたいくつもの天幕のうちの一つ。

静かな夜を独りで過ごしていると、どうしても余計な事ばかりを考えてどうしようも無い不安に襲われてしまう。

眠れずに宿営地内を歩いているうちに、結局此処に辿り着いてしまった。
「…麻理子?」
『!?』

なかなか中に入る勇気が出せずに入口の前で立ち尽くしていると、ふいに後ろから声が聞こえて来た。

『し…紫義…こんな時間にどこ行ってたの?』
「僕は部下達に明日の指示を伝えて来た所です。…麻理子こそ一体どうしたのですか?」

『あ…えっと…私は…なんとなく眠れなくて散歩してただけだから…なんでもないの。それじゃ、おやすみ!』

こんな夜更けまで自分に与えられた役目を果たす為に頑張っている紫義に対して、大した理由も無くふらふらと会いに来た自分が恥ずかしくて…情けなくて、私は無理矢理笑ってこの場から離れようとした。

「お待ちなさい」
『え…?』

「そんな薄着で歩いていたなら体も冷えてしまっているでしょう。中で少し温まってから帰った方が良いですよ。」
『………。』

私の心の内を知ってか知らずか、紫義は少しだけ微笑んで私を自分の天幕の中に入れてくれた。

「…それで?本当はどんな用があったのですか?」
『………っ!!』
「貴女が何の用も無しにこんな真夜中に一人で出歩く人ではない事くらい、解っていますよ。」
『──……。』

解ってくれていた…。
気付いてくれていた…。
私の、心に……。
それはどうしようもなく嬉しい事で…だからこそ、私の胸は一層苦しくなった。

「…まぁ、とりあえず体を温める事の方が先ですね。これをお飲みなさい。」

そう言って紫義は、私の前にお茶を差し出してくれた。

日本のお茶とも、紅茶とも違う、だけどとても優しい香りで…その味と香りは私の心を落ち着かせてくれた。

……それがお茶のおかげだけだったかは解らないけれど…。

『……美味しい…。
ありがとう、紫義。
……面倒かけちゃって…ごめんね…。』
「いえ、冷えた体のまま天幕に帰して、風邪でもひかれたらそちらの方が大変ですからね。」
『風邪かぁ…。ふふ…なんか初めて逢った日の事思い出しちゃうね』

初めて逢った時は…紫義の第一印象は"冷たそう"とか"怖そう"とか…確かそんな感じだったと思う。

 

だけどあの日の夜…紫義は高熱を出して倒れてしまって、私は一晩中看病をし続けた。

今思えば、どうして初めて逢った人…それも無理矢理連れて来られた相手を必死で介抱してあげたのかとても不思議だけど…

でもきっと、あの時から私の気持ちはたった一つだったんだと思う…。

『紫義こそ、私の心配ばかりしてるけどまた頑張り過ぎて熱とか出さないでよね!』

冗談混じりに笑いながらそう言った私の顔を、紫義は少し微笑みながら見つめてこう言った。

「その時は、また麻理子に看病でもして頂きましょう。」
『──な…ッ!!!』

「ほら、早く飲まないとお茶が冷めてしまいますよ?」

不意打ち……。

紫義は時々さらっとスゴイ事を言う。

……今のは…本心だったのかな…。

紫義の唐突な言葉に思わず真っ赤になっている私に、紫義は更に話し掛ける。

「麻理子…。
貴女も"風邪をひけ"とまでは云いませんがもう少しくらい僕を頼ってくれても良いのですよ?」
『え…』
「初めて逢った時から、貴女は決して弱さを人には見せない方でしたからね…時々心配になってしまうんですよ。」

──心配…。
紫義が……?

 

「貴女は異世界からこの世界にやって来た…それだけでも辛い出来事だった筈なのに…無理矢理このような所まで連れて来てしまって……」

そう言った紫義の表情があまりにも辛そうだったから、私は思わず紫義のそばに駆け寄って紫義の言葉を遮るように話し掛ける。

『紫義…!そんな事無い…!
私、平気だよ?紫義達には本当に良くして貰ってるし、すごく感謝してる!
それに此処に…紫義の所には私が勝手に戻って来たんだから……っ!!』
「麻理子…」

必死に話す私を紫義は静かに見つめている。
その瞳にはまだほんの少し陰りを残したままで…。

初めて紫義にこの宿営地に連れられた後、多喜子ちゃんと女宿が私を助けに来てくれた。
そう…私は一度この場所を離れた。

だけど──私は帰って来た。

自分の意思で。
自分の足で。

紫義の所へ──…。

「…あの日…」
『え…?』
「あの日麻理子が僕の所に戻って来てくれた時…はっきり言って麻理子の行動は全く理解できませんでした。」
『──……。』

真剣な紫義の表情から、どんな言葉が出るのかと身構えていた私は思わずその場に崩れ落ちる。

 

しかし本人はいたって真面目に話しているらしく、俯いたまま更に言葉が続く。

「…ですが、理由はどうあれ二度と戻っては来ないと思っていた貴女が再び僕の元へ帰って来た。
その事実がただ嬉しかったのです。」
『……。』

「けれど…やはり貴女はあの玄武の巫女達と共に居るべきだったのかもしれません。
あの巫女も貴女と同じ世界から来た者…行動を共にすれば貴女が元居た世界へと戻る為の手段も知る事が出来たかもしれないのですから…。」

…ズキン…

紫義のそんな言葉を聞いて、私は胸の奥に小さな痛みが走るのを感じた。
『…帰る……。』
「麻理子も早く元の世界に帰りたいのでしょう?」

ズキン…ッ

紫義の言葉を受けて、まるで小石を投げ入れられた水面の波のように、更に痛みが広がり始める。
『…紫義は…私に早く帰って欲しい…?』
「え…!?」

今度は、私の言葉に弾かれるように紫義が私を見る番だった。

…そう。彼には討伐隊隊長としとの責任がある。
私なんかの相手をしている程暇なんかでは、無い…。

『…そうだよね…。わたしなんかがいつまでも此処に居たら足手まといだもんね…。

「麻理子…」

 

──自分でもなんとなく解ってはいたけれど…はっきりと自覚してしまうと思った以上に苦しくなった。

なんとか無理に笑顔を作って話すのも、そろそろ限界かもしれない。

『へへ…迷惑ばっかりかけてごめんね、紫義。
お茶、美味しかった…ありがと…。
私…そろそろ戻る…ね…』

なんだか声まで震えてきた。
これ以上此処に居たら本当に泣き出してしまうかもしれない。

紫義の顔を見る勇気が出ないから、私はそのまま紫義に背を向けて天幕の出口に駆け出そうとした。
その瞬間──

「誰が迷惑などと云いましたか…っ!!」

普段は冷静なはずの紫義が、初めて声を荒げながら私の腕を掴んだ。

それでもまだ振り返る事の出来ない私に、紫義は話し続ける。

「……僕は、ただ心配なんです。
麻理子が時々とても辛そうな顔をしているから…
麻理子傍に居てくれる事はとても嬉しいです…ですがそれが麻理子を苦しめているのではないかと…」

やっとの思いで振り向くと、そこに居たのは"巫女討伐隊隊長"では無く、まだ少年の面影を僅かに残した一人の男の人だった。

『紫義…』

気がついたら、私は紫義の頬に手を伸ばしていた。

 

触れた指先から紫義の温かさが伝わってくる…。
この人は、どうしてこんなに私の心の奥に入り込んでくるんだろう……。

紫義の優しさが嬉しくて、だから余計に泣きたくなって来た。

『…私が辛いのは…元の世界に帰りたいからじゃないよ…。』

毎晩独りになると必ず襲ってくる不安な気持ち…。
どうしようもない位にはっきりと感じるあらがう事を許されない自分の運命。

私は──いつか必ず元の世界に帰らなくてはいけないんだ…

それが明日なのか、十日後なのか、数カ月…数年先なのかは解らないけれど、それでもその日は必ずやって来る──。

『私が恐いのは…紫義と別れる事だよ…っ!!』「───…!」
『私には解る…いつか必ず私は元の世界に戻らなきゃいけないんだって…。
この世界に来たばかりの頃は元の世界に帰りたくて仕方なかった…!
だけど…今は──』

今まで誰にも言わなかった……言えなかった想いと一緒にとうとう耐え切れずに涙が零れ落ちた。
泣きたくなんてなかったのに……。

紫義に情けない所なんて見せたくなかった…泣いたってどうしようもない…ただ紫義を困らせるだけだって解ってたのに…。

「麻理子……」

 

ふいに、紫義が私の体を引き寄せて抱きしめた。
体中から感じる紫義の体温。

この人は、ちゃんと此処に居る……。

こんなにすぐ傍に居る……。

なのに──…。

『…どうして私達…別々の世界に生まれちゃったんだろう……』

声に出してしまった想いはどんどん重さを増して、私の心を更に押し潰そうとする。

『……私…紫義と…離れたくないよ……!!』
「───…っ」

何かを言おうと、開きかけた口を紫義は再び閉じてしまう。

悔しそうに唇を噛み締めたまま、私を抱きしめる腕にも力が込められた。

「…ダメですよ…麻理子。
貴女には、貴女の世界で帰りを待つ人々が居るはずです。
此処は…麻理子が居るべき場所ではないのです。」
『………。』

紫義の口から私を突き放すような言葉。

だけどなんとなく気付いてしまった。
それが、彼の優しい嘘だという事に…。

紫義はちゃんと私の事を考えてくれているんだ…。

自分が引き止めれば、それが更に私を苦しめる事になるって…解ってるんだね……。

『うん…解ってるよ…』

自分の運命も、紫義の気持ちも──ちゃんと、解ってるよ……。

だから…もう弱音は言わない。

 

紫義を困らせたく無いから。

だけど……一つだけ──。

『……ねぇ紫義。
さっき言ってくれたよね?もう少し頼っても良いって…』
「ええ…」

紫義の腕に体を預けたまま、私は話し続ける。

『じゃあ…一つだけ、お願いしても良い?』
「なんですか?」

『私が元の世界に帰る日まで…それまでは紫義の傍に居させて……』

「…麻理子…」

ほんの少しの間をおいて、私を抱きしめていた力が緩み少しだけ紫義の体から離された。

けれど私の肩を両手で掴んだまま、紫義はじっと私を見つめる。

──深い深い、とても綺麗な紫色の瞳で。

私は決して目を逸らさなかった。

私の想いが本物だって、絶対に中途半端なものなんかじゃないって、解って欲しかったから……。

「──麻理子。」

僅かな沈黙の後、ようやく紫義の口が開いた。

「それなら、僕からも一つだけ……お願いしたい事があります。
……貴女が元の世界へ戻る日がいつなのかは判りません…。
けれど、貴女が良いと云ってくれるなら、僕はその日まで麻理子を護ります…。
麻理子を傷付ける総てのものから…必ず護ります。」

『紫義……』

 

『紫義……』

「だから──どうか、僕の傍に、居て下さい……。」
『───……。』

紫義の言葉が…私の心にゆっくりと溶けていく。

こんなにも誰かを心から愛しいと思ったのは…きっと、16年間生きて来て初めての事……。

紫義に逢えて、良かった。

紫義を好きになって、良かった…。

私は零れ落ちる涙はそのまま、心からの笑顔で紫義に応えた。

『うん…。
傍に居るよ…。
私は、紫義の傍に居る……!』

「──ありがとう…麻理子……。」

そう言って微笑んだ紫義の笑顔は、とても綺麗で──優しかった。


貴方は…まるで夜に咲く一輪の花…。

誰も居ない真っ暗な闇の中で、決して独りでは無いと教えてくれた。

朝日が昇るまで、傍に居るから……だから独りで泣いたりしないで……。

そう…言ってくれた…。

大丈夫…。

たとえこの先どんなに辛い別れが待っていても、私は決して紫義に逢えた事を後悔したりしない……。

貴方に出逢えた事は、私の人生で一番の幸せだから…。

再び抱きしめられた腕の中で、私は涙で震えそうになる声を精一杯押さえながら呟いた。

『紫義…大好きだよ……』

End

 

 

 

 

 

 

 

 

~あとがき~

はい、最後まで読んで頂きまして本ッ当にありがとうございます!
そしてお疲れ様です!!
え───…と、初めて書いた小説なので…恐ろしく長いくせにしょぼいです(T_T)
これからはもっとコンパクトサイズで作成出来るように努力いたします…ι
とにかくラスト近くの主人公に対しての台詞を紫義サマに言わせたくて作った小説です。